母は、私が自分と同じ考えをしたり
意見に従おうとしなかったりすると
不機嫌になる人だった。

私が賛同しない=批判と受け取るのか、
自分の意見の正当性をまくしたてて
ねじ伏せようとしてくる。

自分が折れる・譲るということを知らない。

私が知らないようなことがあると
「そんなことも知らないの?」と一刀両断にされた。

優しい所もあり、
基本的に与えたい人ではあったと思うが、
私の気持ちや希望を汲むと言うよりも、
自分が良かれと思う物を一方的に与えるのだった。
 
祖母も、“私”というオリジナルな存在を
見事に全否定し、厳しく管理した。
母の悪口も散々に聞かされた。
 
そんな彼女たちのおかげで、
私は、“自分の考え”というものをなるべく持たず、
“相手にとっての正解”を汲み取り、
「早く終わって…」と心を無にして
相手に合わせてやり過ごすという術を磨き上げた。
 
怒らせないために…。
顔を立てるために…。
 
窮屈だなと思ったが、
そう思うこと自体が罪だとも思った。

そしてその罪の重さは、祖母が亡くなった時に
悲しみが湧いてこなかったことで決定的となり、
自分で自分を罰し続ける人生が始まった。
 
だけど、
 
でも、やっぱり、私はつらかったんだ…!
 
改めて、その時の気持ちに、
ちゃんと自分で寄り添うことができた。
 
Saoriさんのセッションで、苦労しながらも
(そしてSaoriさんにずいぶん見守ってもらいながら)
“自分の感情を感じる”ということに取り組んできたからこそ、
自分の正直な気持ちを拾ってあげることが出来た。

「お母さんとおばあちゃんの受け止め役だったんだね。」
 
Saoriさんが、私の苦しみにこんな素敵な意味を見出してくれた。

母も祖母も私という存在に助けられていたかも知れない、
そんな風にも言ってくれた。
 
灰色だった私の過去に、命が吹き込まれた。
 
そして、
「小さく無力なあなたは一方的に受け入れて染まるしかなかった。
その家庭しか知らないし、そこで生きなくてはいけなかったから。
でも、あなたはもう大人になった。
親とどんな関係性でいたいか、自分で選ぶことができる。」
と教えてくれた。
 
どういう風に母と対峙するかは自分で選べる
という新しい発想をもらえたことで、
私には“自由”ができた。
 
仮に昔と同じ対応をしたとしても、
自動的に巻き込まれていくことと
能動的に「そう在る」ことを選ぶこととは、
天と地ほどの差がある。
 
後者は、そこに自分の意志・軸があるからだ。
 
今まで、私の軸は、母や祖母の軸と同化してしまっていたらしい。
私と、母や祖母の“間”がなかったのだ。

良質なコミュニケーションとは、
自分の本当の気持ちを確認しながら、
事実は何で、相手が言いたいことは何で、
と情報を確認し、整理していくもの。

自分と相手の立ち位置は別の所にあって、
自分は自分で根を張りつつ、
しなやかに相手に合わせる。
 
私が他者とのコミュニケーションで疲れるのは、
相手との“間”を持てなかったからだとわかった。

たとえば、相手の怒りは自分の責任だと感じて、
私がなんとかしなくちゃと思ってしまっていた。

裏を返せば、それもまた、
コミュニケーション相手の“自由”を奪うことなのではないか。
 
少し前、夫から、
「お前は結局、自分の思い通りにしようとする。」
と言われたことがある。
 
あれ?それ、お母さんと同じ(笑)
 
どちらか一方が無理して相手に合わせるのではなく、
【私は私、あなたはあなた。】の平行線がまずあって、
そこからお互いに近づき合える部分を見つけて、
“二人の答え”を生み出していく、
そういう共同作業を丁寧に繰り返していくこと。
 
そうやって築いた関係性が“本物”なんだと、学んだ。

母や祖母とのコミュニケーションの謎はわかってきたけれど、
他の人から(私には関係のない)怒りをぶつけられたり、
愚痴を聞かされたりという出来事が立て続けに起こった。
 
自分の軸と相手との“間”を意識しながら、
感情に飲み込まれず話を聞きに行くということの
練習をしなさいと準備されていたかのようだ。
 
私が聞くことで相手の役に立てるなら、
という思いが半分、
私はあなたの吐き捨て場所・サンドバッグじゃない!
という怒りが半分。
 
こうやって書いてみると、
まだまだだなと思ったりもするけれど、
色んなことを学んで変わろうとしている自分がいるということ、
そこには何の偽りもない。
 
私、一歩ずつちゃんと前に進んでいるよね。