Saoriさんのセッションを受けるにあたって
1つだけ心に決めたことがある。
それは、自分をごまかさないということ。
上手くやって切り抜けようとせず
正真正銘、真っ正直な自分を貫くこと。
ごまかしと取り繕いのスキルは
ぶっちぎりの世界ランク1位を誇る私。
相手の思惑を察知して自分をそこに合わせる
それこそが今まで身に付けてきたサバイバル術。
カウンセラーが描きたい変容のストーリーに沿って
自分を演出することなんか朝飯前だし
いつもの私なら脊髄反射で瞬時にそれをやってのけるだろう。
だからこそ
それをしてしまっては
何の意味もないということを
私は痛いほどよくわかっている。
“本当の自分”を立て直して
“本物の自信”を手に入れたい。
本気でそう思ったからこそ
私は自分から逃げない、と決めたのだ。
生まれた家、家族、生まれてからの今までの出来事
どんな子どもだった、etc.
Saoriさんが私の小さい頃のことを
たくさん質問してくれて、それに答えていく。
セッションを受けて印象に残っているのは
「子どもは自分が生まれた家しか知らないから
そこで必死に生きるしかなかったんだよ。」と
言ってもらえたこと。
幼い私があの家庭環境でどれほど頑張っていたかを
少し客観視できて
「よくやってきたな、私。」と
自分で自分を認められたことにホッとした。
そして、過去の出来事は後から思い出すたびに
「再体験」して無意識に刻み込んでいくということ、
人生の一瞬一瞬の時間が「悩み」か「望み」かの
どちらかしかないということを教わり
私はいつもわざわざ嫌な気持ちになることを選んで
思い出しているのかも…、とぼんやり感じた。
それから、私という人間に興味を持って
聞いてもらえることが、純粋に
とても嬉しい経験だった。
共有できる相手が欲しい・わかってほしい
つまりは【人とつながりたい】という思いが
満たされていくのを感じた。
ただ、あれもこれも話したいという思いや
話のディテールをどこまで伝えたらいいか
冗長的にならないか、などと色々考えてしまって
上手く伝えられていないような気もしていた。
私は【出来事】は抵抗なく伝えられるのに
どう思っていたのか・
本当はどうしてほしかったのかという
【自分の思い】を伝えることは
あまり上手でないこともわかった。
感情がないのではない。
自分の内側に何かしらの感情は間違いなく湧いている。
それはわかる。
けれど、話しながら
“かわしている感覚”があった。
湧いてきた感情が何なのかを認識する前に
ある意味「感じてはいけない感情」のように
本能で瞬時に判断して
「こうあるべき」というある種の
「正しい方向」に自分の気持ちを持っていこうと
もっともらしい理屈を並べて
自分で自分を納得させていく。
これがいわゆる
【感情に蓋をする】という行為なのだろう。
とは言え、セッションが終わった後も
自分のことを聞いてもらったという余韻がとてもあり
「あれも話しておいたほうが良かったかな」とか
ここの部分はもっと突っ込んで質問して欲しかったな」
と思う自分がいたことは驚きだった。
いつもの私なら、自分をさらけ出したことに対して
もやもやしているはず。
話を聞いてもらうことが心地いいんだということを
体験し味わえたのは、初回から大きな収穫だった。