この間、私は新しいチャレンジを始めていた。
身も心もボロボロになりながら一人で頑張り続けている人の、
張り詰めた心を溶かしてあげたい。
痛みや辛さを分かってもらえることの
安堵感を味わってほしい。
そして、その人にとって安全な場所になってあげたい。
7年前の私がそうであったように、
「今だけは、ここにいる時だけは、闘わなくていいんだよ」と。
私は整体師のスクールに入った。
ところが、スクールの方針は厳しいし
活躍している先輩や難なく流れに乗れている
周りのスクール生たちを見ては焦り
上手くできない自分にテンションが落ちていく。
前の職場で感じていた
無価値感、比較、競争心たちがむくむくと湧いてくる。
またここでもか。
選択を間違ったかな…。
勢いで手を付けちゃった。
私の悪いクセが出ちゃった。
結局私は、全部中途半端で何もできない人間なんだ。
そんな思いに襲われながら、
今さらやめるとも言えず
ため息をついて自己否定モード。
だけど。
だけど。
私は変われる。
Saoriさんとのセッションを通して
そのベースを培ってきたじゃないか。
私は私でいい。
私のペースでいい。
最初の気持ちを思い出そう。
大事なのは、
私がどうしたいか、どう在りたいか。
否定モードに入るたび
くり返し自分にそう言い聞かせて、
自分で自分を落ち着かせる。
そして、仕方なくやるのではなく
自分の意志で「やる」ともう一度決める。
揺れ動けば、また決め直す。
そうやって、
何度でも決め続ける。
私の手。
子どもの頃は母とそっくりなことが嬉しかったのに、
大きくなるにつれ、
私はその不格好さを嫌うようになっていた。
母から受け継いだ肉厚の手。
この手だからこそ、私を活かせる場があった。
それは奇しくも、
父が子どもの私に教えてくれた世界。
どう転んでも、父と母は、私の礎なんだ。
やっぱり、親にはかなわないな(笑)
小さくなった背、細い足、丸まった肩や背中。
一所懸命働いて、私に色んなことを教えてくれて
力強かった両親の身体は、確実に老いていた。
この人たちと、私は何をやり残しているだろう。
立派に独り立ちした姿はもう見せた。
孫の顔も見せた。
半分ごまかしながらだけど
「ありがとう」も一応は言った。
昔行った旅先にもう一度一緒に行って
思い出話もした。
対等な立場で相談や愚痴を聞いて
意見する関係性にもなれた。
あとは…。
ふと、子どもになることではないかと思った。
いつも正論が優先で自分の気持ちを
汲み取ってもらえず
子どもの頃は窮屈さを味わっていたけれど
今の私だからわかること
受け止められることがある。
両親から自由になった私だからこそ
あえてもう一度子どもになることを選択し
自分の中にある親子関係を書き換えてみたくなった。
一周まわって、納まった。